家族に読まれてもいいように
どうして今さらブログを始めようと思ったのか。
一番大きいのは、子どもが成長し、親を一人の人間として客観的に判断できるようになった、という確信が持てたから。
だからこれからここに書いていくことも、子どもたちに読まれるのを前提に書いていこう。
もちろん、夫にも読んでもらって構わない。
50を目前にして、様々な点での衰えを感じる、というのも理由のひとつ。
特に、気力・根気の減退が著しい。新しいことを始めるのが難しくなってきた。
昨夏、一番仲の良かった従姉が50代半ばでガンに斃れた。亡くなる1か月前終末期病棟に見舞った際、会話は何とか成り立ったのだが、彼女が記憶を探り当てるのにとても難儀しているのを目の当たりにした。
未だに、思考の自由を失ってしまうことの重さに圧倒されている。
私の父がいわゆるアルコール依存性で、晩年はほとんど会話が成り立たなかったことも思い出される。今でも切なく、やるせない。
父は活字の世界で生きてきた人だけれど、自分自身の言葉はあまり残さなかった。父は今の私くらいの歳の時は何を想っていたのだろう?
年嵩の親類が次々鬼籍に入る中、自分自身そちら側に近付いているのを感じている。
だから、残しておこう、自分なりの言葉を。