シフクノトキ

至福、雌伏、私服。

冷めた人の頭の中

「優しい人」の反対は、「冷めた人」だろう。

 

冷めた人は、「他人のため」がモチベーションにならない。あくまで自分がそうしたいかどうか、もしくは自分がそうされてうれしいか、が判断基準。

 

私は冷めた人寄りなので、他人にあれこれされるのが好きじゃない、いや、大嫌いだ。放っておかれるのが一番心地良い。構われたい時は、自分から行くから。

 

なので、自分がされたくないことは他人にもしない。構われたくないから、構わない。手出しされたくないから、手出ししない。必要以上に関心を持たない。

 

実の子どもに対しても、このスタンスは変わらない。放任気味、だとは思う。でも実際、このスタンスでここまでやってきて、親子の距離感は悪くないな、と自画自賛してみる。
大学生の息子二人は、こちらから聞き込みしなくても、自然と日常の出来事を話してくる。大学生活が安定するまではこちらが苛つく場面もしばしばあったが、ここ最近は楽しそうで何より、としか思わない。

 

先日、我が家とまったく同級生の息子二人を持つママ友と話す機会があった。やはり大学生になったばかりの次男が、時々大学近くに下宿している友人の家に泊まってくるので、それなりの気遣い…食事代を出すとか、その類のこと…をしているのか云々口にしたところ、大ゲンカになったとのこと。

 

彼女の懸念は決して間違っていない。けれども息子からしたら、自分の交遊関係にいきなり首を突っ込まれた気分になったのかも、と想像している。もしくは、そんなこと言われるまでもない、分かっている、と反発しているか。

 

ちなみに彼女は自他共に認める「優しい子ども思いなお母さん」だ。私は子どもが中学生くらいまでは、どちらかと言うと苦手なタイプのママ友だった。
でも今は、お互い子どもの手が離れ、それぞれ打ち込む仕事もあるからか、ママ友というより人間同士として付き合えるようになってきた気がしている。こんな日がくるなんて、子ども同士が同じ学校や部活でごちゃごちゃやっていた頃は、想像もしていなかった。
これも子育てを経て手にできた、果実だ。